ご馳走はたくさんあるのに、それでもフォアグラ食べたいですか?
2012/06/27 Wed
「今日も一日曇りでしたが、これから雨になるかもしれないのですって。
皆さんが、帰りに、雨こんこんに濡れないことを願っています。
僕は、ママと、ジャラシでいっぱい遊んでご飯も食べて、すごく元気です。
曇りでは、あまり眠たくないのです。
少しは眠くなりなさいと、ママに言われてます」
曇りの1日だったけど、気温といい湿度といい、梅雨とは思えない。
しっとりとした梅雨があって、激しい雷雨があって、入道雲のキラキラした夏が来る…なんて、いまや過去の世迷言なのだろうか。
アメリカ、カリフォルニア州で、「フォアグラ」が販売禁止される。
シュワルツェネッガー氏が州知事だったときに可決された法案が、やっと施行されるそうだ。
ドイツ、北欧、ヨーロッパの一部では、とっくに販売禁止になっている。
日本も早くそうならないかな~と、フォアグラ好きじゃない私はそう思う。
キャビアは好き、トリュフも好き。
だけどフォアグラだけは、どうしても好きになれない。
日本のレバーも然り。
肝臓!という感じのリアルな食感がどうしてもダメである。
いやいや、このお話は好き嫌いの問題ではなく、虐待か?のお話である。
「フォアグラって、なんですか?
新しい猫のオモチャの名前ですか?
食べ物?
僕、見たことも食べたこともありません。
今度、お祭りの日に買ってください」
お祭りの屋台では、売ってないと思うな~
ご存知のように、フォアグラは、ガチョウやカモの肝臓である。
それも、ただの肝臓ではなく脂肪肝の肝臓だ。
ガチョウやカモは、普通の飼育では脂肪肝にはならない。
強制給餌をして、やっと、脂肪肝=フォアグラとして出荷できる肝臓になるそうである。
その強制給餌が動物虐待だと、動物愛護団体からの強い指摘を受け、国、ないしは自治体が動いたということだ。
そんなことを言うのなら、食肉用の畜産産業はすべて、動物虐待だと言われてもいたしかたないが…。
それはまた話が別なのである。
ややこしいから割愛だ。
「食肉用の畜産?
それって、牛さんや豚さんや鳥さんのことですか?
猫は?
猫はまさか、食肉ではないですよね?」
日本では、そうじゃないですよ。
しかし君も、鳥さんを食べているのです。
そのことを、ゆめゆめ忘れてはなりません。
強制給餌は半端じゃない。
ガチョウやカモの口を無理矢理こじ開けて、脂肪分の高い餌を送りこむ。
食べたというより、胃にダイレクトに押し込んでいるだけで、ガチョウやカモにとっては苦痛以外の何者でもないだろう。
脂肪肝で肥大肝臓にさせられたガチョウやカモは、頭部と胴体を水平にする姿勢しかとれなくなるに至るのだそうだ。
それでもあなたは、フォアグラを食べたいですか。
ガチョウのお肉でもカモのお肉でもなくて、あえてフォアグラを…。
「かわいそうなのです。
食べたくないのに、無理矢理お口の中に突っ込まれるなんて!
えっ、お口の中じゃない?
じゃあ、何のために無理矢理食べさせられるのですか?
えええっ、人に食べられるため…ですか?
人は他にも食べるものがいっぱいあるのに?
ご馳走だって、いっぱいあるのに?」
ママもそう思います。
最初は単に肝臓を食べるということが始まりで、猟師が、獲った獲物を余すところなく食べるというところから始まったものだろう。
自分の命をつなぐために、獲った鳥をあますところなく食用にした。
毛は防寒用の衣服にした。
1匹のカモは、全身を以って、山に住む猟師一家の命をつないだのだろう。
そこには、ひとつの命をあがなうためのひとつの命の法則が働いていて、違和感を感じない。
私達は常に、他の動物、魚類、植物を犠牲にしてしか、命がつなげないようにできている。
だからこそ、ご馳走様という言葉がある。
Thanksという言葉がある。
それでもあなたは、フォアグラを食べたいですか。
ガチョウのお肉でもカモのお肉でもなくて、あえてフォアグラを…。
「いえ、僕は食べません。
フォアグラなんて、一生食べません。
キャビアもトリュフも、食べません。
食べなくたって、僕には僕のご飯がちゃんとあります。
おいしいふりかけを、たっぷりかけたカリカリで、十分なのです。
それも、一日40グラムでね」
たとえ食べたいと言われても、ママは買ってあげられないな~
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